広く浅く、いろんな音楽を聴いている。 楽器はギターが好き。 歌はフォークソングを特に好む。 学生の頃よく聞いていた谷山浩子さん、沢田聖子さんの曲がカラオケにはないのが非常に残念に思っている。 | 05年3月に、『関西フォークの夜明け』というCD集が限定発売された。60'sのいわゆる反戦フォーク、アングラフォークと言われていたころのものだろうか。それまで話しでは聞いていたが、実際に曲を聴く機会がなく、どんなものか知らなかった。生々しい主張、ストレートな皮肉、風刺など、当時の学生の純粋な気持ちが伝わってくるような気がした。 |
<中学生の頃> 星 新一、眉村 卓、エドガー・ライズ・バローズ/SF物が多かったように思う <高校生の頃> ムツゴロウ、森村 桂、星 新一、眉村 卓、小松左京、井上ひさし、庄司 薫 <浪人中> 岩波新書;物理学・数学・日本語(大野 晋 等) <大学生の頃> 夏目漱石、城山三郎、/日本語、漱石研究本(小宮豊隆、江藤 惇、雑誌「國文學」 等) <大学卒業した頃> 渡辺淳一、/韓国(言語、文化) <1995年頃> 山岳小説(新田次郎等)、日本語ハングル起源説 <2000年前後> 村上春樹、三浦綾子、川端康成 |
『わらび座修学旅行』 及川和男/岩波ジュニア新書 秋田県田沢湖町に「劇団わらび座」という劇団がある。ここには同級生がいることもあり、なんとなく買って読んでみた。端的に言えば、悪ガキ共が修学旅行でわらび座に行き、最初はバカにしていたソーラン節を最後には感動しながら踊ってしまう、というもの。読んでいて、思わず引き込まれてしまった。感動し、通勤電車の中で涙を流してしまった。 『崩れ』 幸田 文/講談社 70歳を過ぎてから山崩れに興味を抱き、それから自らの足で見て歩いた全国の著名な崩壊地や地すべり地の見聞記。斜面の崩壊が生じる理屈を一生懸命勉強し、しかし自然の前には人間は非力であることを素直に表現しているように思う。ご本人が使われている崩壊の感動という言葉がそれを示しているように感じた。 これは、右記の『泥流地帯』にも通ずるように思う。 |
『三浦綾子』 多くの本は、漠然と、「あぁ 面白かった」で終ることが多い。ところが、とあるきっかけで十勝岳噴火の話しから三浦綾子著の『泥流地帯』の話しになった。そこまではこれまでにも何度もあったが、読んだことがなかったので、読んでみようかな、という気になった。そして、感動したぁ! 引き続いて、学生の頃に読みかけたけど途中で挫折していた『氷点』を読み返し、『天北原野』『塩狩峠』『ひつじが丘』『石の森』等々、読み続けた。 いずれも、主人公は清く正しく、だれからも好かれるという設定に素直に引き込まれてしまうのが少々悔しいが、逆に信用できないことが多い現代に、心が洗われるような気もする。 2005年8月、三浦綾子記念館、見本林を見学。 |
『三井王国』 邦光史郎/昭和48年刊行 (06年8月読) 幕末から戦後の財閥解体までの間の三井財閥の歴史をたどった産業・経済小説。 この手の分野の小説は読んだことない。しいて言えば、星新一の「人民は弱し、官吏は強し」くらいか。 もともと歴史にはまるで興味がなく、特に明治以降については○年に△戦争があって、戦後平和憲法が制定された、程度のことしか知らない。 明治新政府の要人も名前だけは覚えているが、それぞれがどういう関係で何をしたのか知らない。 もちろん、その裏のどろどろとしたことなんか教科書に載ってないので、知る由もない。 本書は、そんな明治から昭和にかけて三井がいかにうまく乗り切っていったかということを、舵取りをした人物を中心に描いているものである。小説であるのでフィクションの部分もあろうが、政官財界トップの実情とはこのようなものだったかと思うと、恐い気がすると同時に、好き勝手が許される良き時代だったようにも思う。 また、本書の主題とはかけ離れるが、明治という時代の背景をあらためて知った気がする。 本年7月に発刊されたとある雑誌に、神奈川大学教授が「21世紀を生きる勇気と知恵」と題したコラムの一部に以下のように書いていた。 『これからの時代に、「今までの延長」という生き方が許されない以上、あらゆる分野でこれまでとは違った、「新しいこと」を考え出すことのできる人材が求められる。創造力である。新たな着想を実行に移すには、失敗を恐れず、既得権にとらわれない、さらには周囲の批判や冷たい目にも耐える勇気、さらには周りの人々をも説得して仲間に引き入れるコミュニケーション力や人間的な魅力、道徳性というものも欠かせない。』 三井王国が刊行されたのは昭和48年。そしてその中に描かれている明治の人物たち、特に後年の人物たちはまさにこの教授の書いている通りの人材であった。道徳性という部分をどう解釈するかともなるが、ある意味強引な行動力、根回しする配慮をも兼ね備えている。 つまり当たり前のようにも思うが、いつの時代でも、『これからの時代』を創っていく人材に求められるものは変わらないということであろう。 「新しいこと」をいかに発想するか。いろんな発想法がある。発想してもそれを行動しなければただの夢想に終わる。数多い凡人か否かの分岐点を超えるのも元気がいることだな。 |