【参考】

萩往還250kmコースガイド
 250kmリピーターでもあるクニ@川崎さんのホームページ

萩往還ハイキングガイド
 高杉晋作に関連して、本コースには幕末維新のころの史跡も残っていることから紹介されている。

730 萩往還ルートマップ(S63刊行)
 萩市・旭村・山口市・防府市 関係4市村連絡協議会と山口県文化財愛護協会による編集。
  ・内容:萩往還の全行程と関連遺跡が掲載
  ・頒価:300円 + 送料190円
  ・お問合せ先:防府市教育委員会 文化財保護課 文化財保護係
    〒747-8501 防府市寿町7番1号 電話:0835-25-2141(直通)

KadoさんのHP内の『ウルトラマラソンのお部屋』
 萩をはじめ、いろんなウルトラマラソンのレポートがあります。

【謝辞】
 本ページについては、Kadoさんからいただいた多くの情報を使わせていただきました。また、ウルトラマラソン素人同然の私に対して、UMMLの多くの方から直接的、間接的にご助言をいただきました。
 ここに記して謝意を表します。
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  第13回 山口100萩往還マラニック大会
H13.05.04

 本ページは、走ったときに感じたこと、考えたことをそのまま載せています。しかしその後、いろんな方のお話しを聞くにつれて、私が無知であったことによる誤解がだいぶあったことがわかってきました。そのあたりは、本文では色を変えて説明として加えています。
 また、気づいたことがあったら随時、加筆修正をしていきます。もし、これはおかしい、と思うようなことがありましたら、是非お教えください

萩往還70kmコースガイド (まだ作成中)
 たった一回、つまり一往復しただけの記憶を頼りに、独断と偏見で作ってみました。ガイドになっていないかもしれません。
 記憶違いがあるかもしれませんので、これを信じて道に迷ったりしたら、申し訳ありません。もし、そういうことがあったなら、ご指摘ください。修正します。



【スタート前】

 朝、5時半頃、スタート地点に行く。けっこう肌寒い。下はランパンの上にCW-Xをはく。上はTシャツの上に透明ビニール袋を着た。しかし、荷物置き場に荷物を置きに行ったりしているうちに汗をかいてきた。天気は晴れていたので、その時は少々寒かったが、ビニールは脱ぐことにした。


 スタート前は、もう、不快なことだらけ。
「全く、なんて運営のひどい大会だ」と憤慨してしまった。
 でも、これは私の無知が原因だったことも多々あった
ようだ(そんなこんなは、こちらに)。

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こちらのほうがわかりやすい!
配布された断面図。250km全コースの断面図(高低図)
で、そのうち70kmの部は太線で示されたところが該当する。
右端の瑠璃光寺がスタート/ゴールで、▲地点がエイド地点。

上記断面図をクリックすると、『カシミール3D』
というソフトを使って作成した断面図がでてきます。
こちらhttp://www.kashmir3d.com/を参照
【スタート〜佐々並エイド】

 走り出すとそれまで抱いていた不満・不快感は消えた。最初はどんなペースで走っていいのかわからないので、周りにくっついていく。
 とりあえず、右に示す配られた断面図とおりの勾配(5kmで500m登るようになっているので、平均10%勾配)の車道を進む。周りのペースは遅すぎるような気がしたので、少しペースを上げる。
 それまでその断面図に疑問をもっていなかったので、「あぁ、こんな感じで5km続くのか」と素直に覚悟する。ところが、そう思った矢先、ダムが見え、ダムサイトを過ぎると平らになる。まぁ、湖岸はこんなもんだろうな。ダム湖を過ぎるとまた登り坂、と思ったら、「えぇっ?」
  
 山道入り口の標識によると、峠まで2200mとなっている。ということは、スタートしてからここまで約3kmあったということか。ここからはけっこうな急坂。石畳になっている。後から聞いたのだが、これは馬車を通すため、車輪がもぐらないようにするためなんだそうだ。それにしてもすごい急勾配。馬も、それをひく人間も大変だったろうな。
 前方に、舗装路を離れて急な山道を登りだしている先陣が見える。ここで、初めてその断面図は概念図であったことに気づく。この図を真に受けていた自分が浅はかだった。そして、主催者に腹が立った。「地形が読めないような地図と不正確な断面図しか与えないで、何が地図見てコースを探せだ!」
 まぁ、さいわい、というか、当然のことながら、トップを独走しているわけではないので、前後は行列している。付いていけば迷いようがない。まっ、いいっかぁー。
 これは実際に走ってみて気づいたのだが、与えられた地図では、コースは道路を微妙にはずれて書かれていた。これは、地図が読めない人が道路がわからなくてずれたんだと思い込んでいた。ところが、実は走るところは地図上に描かれている道路ではなく、その脇にある小道であった。つまりかなり正確にコースをトレースしていたらしい。しかし、このときはそんなこととは露とも思っていなかった。
 何の説明もなくその地図を初めて見たとき、そのことがわかる人は何人いるだろうか? この不親切さに、また不快感を覚えた。

 上記赤字の部分を読んだ人から、「往還道というのは昔の街道だから、今の道路と合っていないのは当たり前ではないか?」とのご指摘を受けた。そして往還道の説明をしていただいて、ようやく「往還道」というもの(言葉)を理解した。それまで、往還道という単語を知らなくて、萩の、この道にだけついている固有名詞だとばかり思っていた。
 私が育った北海道には往還道なんてなかったものだから、、、(言い訳)
 あらためて地図を見ると、私が仕事でよく行く埼玉県にも「秩父往還道」という文字が載っていた。

 しばらく急な石畳やら落ち葉の山道やらを登ると、一旦車道に出て、横断したらまた山道。入り口にトイレがあって、行列していた。
 さらに落ち葉に埋もれた山道を登る。今度は先ほどよりは少しゆるくなっている。ピークを越えたところでまた車道を横断。次の入り口には「峠まで300m」との標識がある(数字は記憶が定かではない)。よし、もう少しだ。
 少しいくと登りが終わる。どこが峠だかわからなかったが、ようやく板堂峠を越えたらしい。あとは佐々並のエイドまで基本的には下りだな。
 下りだしたところでまた車道を横断。石段を登る。今度はすぐにピークを越えて車道に出る。ここから長〜い下りが始まった。車道を下り始めて最初の右カーブを過ぎたところの右側に小さな店があり、その前のベンチにヤカンが3個ほど置いてあるのが見えた。私設エイドらしい。何人か立ち寄っていたが、まだのどの渇きもないので素通り。
 最初は勢いに任せてかなりのペースで走る。多分、キロ5分は軽く切っていたものと思う。しかし、ふと思い出した。長野マラソンのスタート直後の下り坂で飛ばしすぎてつぶれた人が何人もいたことを。それで、少し自重する。でも、キロ5分に近かったんだろうな。

 どこからだったか意識していなかったが、気づいたら頭の中では松崎しげるの「愛のメモリー」のサビ部分が繰り返しなっていた。これは折り返してからもそうだったが、帰りの佐々並エイドで豆腐を食べた後、ちゃげ&飛鳥の曲(曲名は忘れた)に変わっていた。
 長〜い長い下りが終わり、脇道に入る。どうやらこれがかつての往還道だったようで、ちょくちょく標識がある。一応、道が交差するところは白線で矢印がかかれているが、間違えそう。
 さっきまで前後に人がいたのだが、長い下りで少し人がばらけた。このため、一時的に前方に人が見えなくなることもある。一ヶ所、右に入るところを入らずに行き過ぎそうになった。帰りが不安になったので、それからは少し周りの景色を意識するようになった。

 佐々並エイド着は7時45分。このとき、スタートしたのは6時だから15kmを2時間近くもかかっちゃったのか、と思ったが、実は35km等とのウェーブスタートだったので、実際は1時間35分しかかかっていなかった。かなり良いペースだったことに、レース後気づいた。
 断面図によると、一山越えたところで約15km・佐々並豆腐のエイドだったから、もうそろそろかな、と思ったところ、町らしきところに入っていく。そして、エイドが見えたとき、なぜかほっとした。
 佐々並豆腐はうわさどおり、おいしかった。ちょっと変わった味がするな、と思ったが、これは豆乳の味だったらしい。たくさん食べたくなったけど、一皿(半丁?)で我慢する。エネルゲンを一杯もらってすぐに走り出す。

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【佐々並〜明木エイド】
 町を抜け、しばらく進むとまた先陣が山道に入っていくのが見える。今度はさっきより峠までの標高差と比べて半分くらいのはずだ、とは思ったものの、あまりの急勾配に帰りが不安になる。疲れた足でこんな坂を降りてこられるかなぁ、、、
 それから峠を越えるまで、ところどころ往還道の石碑やら標識、休憩所等を横目で見ながらも、頭の中は空っぽだった。ただただ前に進んでいたような気がする。
 そして、下り。バラスを敷いた林道は、走りにくかった。時折、足をくじきそうになる。基本的に私は下りが苦手で、元気よく走れない。しかし、この下りでは前後の人と同じくらいには走れていたので、そんなに勾配はきつくなかったのかもしれない。足元が悪かったので急に感じたのかも。今、思い返してみると、車が通った後があるのだから、その程度の勾配だったのだろう。
 それにしても、この下りも長かった。帰りはここも登るのかぁ、、、

 往路、走っているときは気づかなかったが、ここが一升谷
だった。そして、後で知ったのだが、バラスを敷いた林道と
思っていたが、実は雨水により、表面の土が流れるのを防ぐ
ために、設けられた石畳の道だったらしい。

 長い林道が終わり、再び国道の脇の小道(=往還道)に入ったり戻ったりを繰り返しているうちに集落に入った。と思ったら、すぐに明木のエイドだった。
 佐々並エイドから明木エイドまで約10kmをちょうど1時間とかなり良いペース。とろとろ走る区間が長かったように思ったが、どこでそんなにタイムを稼いだんだろう。平坦なところではキロ5分半くらいで走っていたのかな?

 明木エイドでは、まず小用を足す。テーブルには飴玉、饅頭なども置いてあったが、エネルゲンを一杯だけもらってすぐスタート。

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堤防を進んだ後、家の裏の谷間を登っていく
上記谷間に入ったところ
【明木エイド〜萩城跡】
 しばらく集落の中を進んだあと、堤防の上を進む。さぁて、ここからはもう山道はない、と思ったが、そんなことはなく、やっぱりまだあった。断面図では読み取れなかったが、小さな峠の山道を越えたら舗装路に出て、道の駅のような建物(実は有料道路の料金所だった)の裏に出た。
 この料金所は、コースからは少し離れている。しかし、立ち寄っている人がちらほら見える。トイレにでも寄っているのかな、と思い私は寄らなかったが、実はここにもエイド(私設?)があったそうだ。
 この舗装路に出たところには道案内(白線等)は見当たらない。帰りは迷いそうだな、と慎重に周辺を見回して光景を覚える。
 
 料金所の裏側。私は「道案内がない」と憤慨したが、この写真を見た人から、「往還道の標識のようなものが写っている。それがあればわかるんじゃないか?」というご指摘を受けた。私はご指摘を受けるまで、全然気づいていなかった。
 料金所脇を過ぎて舗装された小道に入ると、「萩駅まで2.6km」の標識。よし、いよいよ折り返しまで5km程度だぞ!
 足は全くダメージを感じていない。ここで飛ばしちゃってあとにどう響くかわからないが、楽なペース(多分、キロ5分半を切るくらいのペース)で走る。交差点でどちらに行けばよいのか、矢印もなくて迷いそうになる。遠くに走っている人が見えれば安心したが、見えないときは後ろを走る人に道を聞きながら進む。
 萩市内は妙に排ガスの臭さが気になった。

 萩城跡、9時52分着。明木からの10kmを1時間10分。まずまずかな。
 ここには着替え一式(Tシャツ、ランパン、シューズ)を置いていた。
 萩城跡エイドでは、まず「食事をどうぞ」とおにぎりパックを渡された。そんなのんびりするつもりはなかったが、靴の甲が当たっていて、靴を替えたかったので、とりあえず熱いお茶をもらって一服することにした。汗で濡れたTシャツも替えたかったが、ゼッケンを止めているピンを付け替えるのが面倒になったのでこれは我慢する。

 おにぎりは2個入っていたが、1個しか食べられなかった。お腹はそんなに減っていない。おかずの鳥から揚げ一切れ、サバの切り身を一切れずつ食べ、もう1個のおにぎりから梅干だけ取り出して口に含む。

 午後から暑くなりそうだったので、CW-Xを脱いでザックに入れる。Dictonを内股に塗りこみ、靴下を履き替え、靴をT3からターサーに替えて、10時13分スタート。
 T3のインナーは取り替えたばかりでクッションが良かったが、ターサーはインナーが少々へたっている。かかとの衝撃が気になる。取り替えたのは失敗だったかな、、、
 しかし、舗装路の走行距離は短い。今までレースで使ってきたのだから大丈夫だろう。

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【折り返し、再び明木エイドへ】
 走り出して、足の疲れは多少感じるものの、まだダメージというほどではない。それよりCW-Xを脱いで少々寒かった。やっぱり失敗だったかな、と最初は少し後悔したが、すぐに気にならなくなった。
 対向してくる70km、35km、60kmの部の人たちと声を交わし、先を歩いている250km、140kmの人たちに声をかけながらキロ5分半か、それより少し速いくらいのペースで進む。
 萩市外を抜けた辺りで、先を走っていた140kmの人が振り返って話しかけてくる。
「速いですねぇ。どのくらいで着く予定ですか?」「いえ、初めてで全然予想つかないんで、とにかく行けるところまで行ってみようと思って。」「私は70kmを9時間切りたかったんだけど、8時間50分で切れたんですよ。」「そうですか。私は行きは4時間だったから、帰りは5時間か5時間半くらいじゃないかと思うんですけど、、、」
 どうでもいいと言えばどうでもいいような会話だった。しかしそれまでタイムのことは全然考えていなかったのだが、私も9時間を切ってみたいな、とこのとき初めて思った。

 気づいたら「萩駅まで2.6km」の標識に着いていた。声を掛け合っていたせいか、ここまであっという間についたような気がする。
 標識を過ぎると、行きに間違えそうだと思って確認した料金所(上左の写真地点)。前にたまたま人がいなかったので、意識していなかったら間違えるところだった。
 この明木までの最初の山道は、そんなに苦にならなかった。それよりこの時は、明木の先で、行きに長〜く感じた下りは延々と登らなくちゃならないんだろうな、と、そちらの方が気になっていた。




 明木エイド着11時25分。行きとほぼ同じタイムだ。でもまだ距離では45km。これからが問題だな、、、

 昼になって気温が上がってきた。行きはエイドで給水したものの、持っていたドリンクはほとんど飲まなかった。しかし、帰路はここまでで500mlペットボトルのうち200mlくらい飲んでしまった。コースのほとんどは木陰だとはいえ、このペースだと残量が足りるかな、、、
 明木エイドではおいてあった饅頭と飴玉が気になったが、エネルゲンだけもらい(お代わりもして)先に進む。

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【もう一度、佐々並豆腐】
 しばらく国道のそばの小道をくねくね進む。行きに間違えそうだな、と思った分岐を向こうから戻ってくる人がいた。ちょっと矢印を見落としたらやっぱり間違うよな、、、
(でも、もしかしたらその先の民家にトイレを借りるなど、あえてはずれていたのかもしれない。)

 脇の小道から国道に上がる。日影のない炎天下の登り。これはちょっときついなぁ、、、
 「標高405m」という標識のある峠を通過。

 さて、いよいよ長〜い林道の登り。(ここが『一升谷』と呼ばれるところらしい)とにかくなるべく歩かないように気合を入れる。対向してくる歩け歩けのピンクゼッケンの人たちが声をかけてくれる。最初はこちらも顔を向けて挨拶していたが、だんだんつらくなってきた。そのうちに下を向いたまま声だけで挨拶するようになっていた。
 ぽつりぽつりと前を歩いている250kmコースの人がいる。このときばかりは、こちらも元気を出して、後ろから声をかけて抜く。

 長〜い林道がようやく終わり、山道に入る分岐についた。木杭で作られた階段があるこの山道はさすがにもう走れない。とりあえずザックからカロリーメイトを1個取り出し、もぐもぐ食べながら歩き出す。パサパサで飲み込めない。残り少ない貴重などリンクで流し込むのはもったいないな、と思った時、ちょうど道路わきに往還道休憩所というあずま屋とトイレがあった。これ幸い。トイレの水道で口に水を含み、カロリーメイトを流し込む。
 この山道もそんなに長くなかった。すぐに峠となり、急な下り。この下りはあっという間だった。

 急な下りが終わるとしばらくは下り基調のアップダウン。スピードは遅いが、わりと元気に走っている250kmの人に追いついた。「あと何kmですか?」と聞いてくる。峠は越えたからもうそろそろ佐々並エイドのはずだと思い、「えっと、じゅう、、、」と答えかけたが、間違っていたら申し訳ない。「20kmは切っているはずです」と言い直す。本当は16〜17kmと答えようとして躊躇したのだが、正解だった。もうひとつ短い山道があった。もうそのままエイドに着くと思っていたので、私自身予想外でちょっとがっかり。しかし時計を見るとまだ明木を出て50分しかたっていない。行きに60分かかっているのだから計算は合う。時計を確認し、「よし、あと15分だ」と気合を入れ直す。

 その短い山道を越えると記憶のある堤防上にでる。ここから佐々並エイドのある集落までの道は覚えていたので、安心するとともに元気が出る。
 佐々並エイドが見えたとき、道端の自販機の存在に気づく。持っていたドリンクはすでに残り半分以下。できれば補給したい。しかし、好物のアクエリアスクリアレモンは自販機にはない。期待はしなかったが、やっぱりちょっとがっかり。でもその代わり、良いものを見つけた。コーラの「お手頃サイズ」(こんな単語だったかな? よく覚えていないが、こんな表示で「100円」と書かれていた)。200ccか180ccくらいだと思う。少し小さめのコーラがあったので、これをエイドまで歩きながら飲む。

 エイド着は12時23分。なんと、ここまで行きと同じペース。嬉しくなる。
 エイドでは250kmの人たち6〜7人が屋台のようにパイプ椅子でテーブルを囲んで座って豆腐を食べていた。私も椅子を勧められたが断って、立ったまま豆腐一皿、バナナ半切れ、そしてエネルゲン一杯をもらう。そして足の屈伸運動をしてからスタート。

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【そしてゴールへ】
 道路わきの小道に入ったり出たりしているうちに、前後を走っている人がほとんどいなくなった。時折歩いている250kmコースの人がいる。道に迷わないか不安になりながら進む。
 しかし、どうやら迷わずにすんだようだ。見覚えのある、行きにぶっとばしそうになった長い下りだった国道に出る。前後に人がおらず、寂しい一人旅。しかし道は間違えていないのが確信できて、気力は萎えない。ひたすら我慢の走りになる。
 この坂を7割くらい登った頃、後ろから足音が聞こえてきた。誰か追いついてきた。しばらくして抜いてきたので声をかけてそちらを見たら、見覚えのある女性だった。その人とは、行きに、まさしくその坂を下っている時に一緒だった人だ。最初は良いペースのその女性について行こうとして、長野マラソンのことを思い出して私が自重したのでまもなく見えなくなった人だった。
 「長い坂ですね」と言ってその女性は私を抜いて前に出たが、ついていけないペースではない。それまで一人旅で私のペースが落ちていたということもあるのかもしれない。そのまま、ヤカンを店の前に出していた私設エイドまで後ろをくっついて走らせてもった。

 その店の中には、アイスクリームの冷蔵庫が見えた。思わず店に入ってのぞき込んだら、「まだ入れてないんですよ」と店のおばちゃんが声をかけてきた。そりゃ残念。とりあえず自販機でオロナインCを買う。ちょうどそこには他にも3人参加者がいたが、そのみんなにおばちゃんが草もちをすすめてくれた。ありがたくいただく。(あとできいたのだが、「これを食べないと完走できないよ」と脅された(?)人もいたとか)
 ついでにヤカンの水を、と思ったら、なんとそれは暖めた麦茶(だと思う)だった。おいしかった。

 そこまでくっつかせていただいた女性は、あとから追いついてきた知り合いの男性と先に出て行った。私は少し遅れて後から追う。というつもりだったが、やっぱり一人になるとペースが上がらない。再び我慢の登りとなる。

 もうそろそろ山道(板堂峠)に入るはずだけどな、、、
 行きはすぐだったと思ったのだが、けっこう距離があった。しかし、じきに石段に入る。
 短い石段を登り、そして下ると国道を渡って反対側の石段。少し登ればピークだ。よし、あとはひたすら下りだぞー!
 すぐにまた国道を横断。スタッフとガードマンが誘導してくれる。渡ったら石段があって、また登り。あれっ? また記憶と違ったぞ、、、

 でもすぐに平坦になり、本格的な下りになった。「よし、あと500mでもう一度国道横断だな」
 足元が良くない。落ち葉、浮石、苔むした石、、、 気をつけながらも小走りで下る。そして国道横断。あと2200mだ。ここから石畳が増える。滑りそうで怖い。しかし足はまだ元気なので踏ん張れる。
 だいぶ進んだ頃、私の足音を聞いて前を歩いていた250kmの人が振り返り声をかけてくれる。「ここまできたら、あとは怪我しないように気をつけてね」
 全くそのとおりだ。緊張感を増す。

 ようやく山道を脱する。ほっとすると同時に、持っていたウィダーインゼリーを飲み干す。あと3km程度の下りだ。我慢して少しだけ残していたドリンクもガブッとひと飲み。
 足は残っている。元気よく走り出したところ、前方で小さな男の子が「給水はいかがですかぁ?」と元気に声をかけてくれる。「えっ?」っと思って脇を見ると、どうやろそこのお宅が一家総出で私設エイドを開いていた。元気だけもらい、手を振って通り過ぎる。


 そういえば、佐々並の集落だったろうか。家の前に椅子を出して、日の丸を持って応援していたおばあちゃんが行きも帰りもいた。あのおばあちゃん、いったい何時間応援しててくれたんだろうか。
 帰りに通りかかったとき、ゼッケンをのぞき込んで「どこから来たの?」と声をかけてきた。「横浜です」と答えると、「へぇー、遠くからご苦労さん」と言う。毎年楽しみにしているのだろうか。
(ゼッケンには、都道府県名が記入されている)

 さて、国道に戻ってからは、絶好調だった。下り坂で勢いがついたこともあろうが、おそらくキロ4分半を切るくらいまでペースが上がったのではないだろうか。
 ダムを過ぎて坂が急になって、普段だったら苦手な下りで勢いが落ちるのだが、気にならずにぶっ飛ばす。心拍もそれほど上がらない。快調そのもの。
 反対車線の駐車帯で私設エイドを出している人が声をかけてくれたが、足は止まらない。いや、止まれない。そのまま駆け抜ける。
 ゴール前の登りになってさすがに勢いが落ちるかと思ったが、拍手に迎えられ、元気に瑠璃光寺の門を入る。ゴールはどこだろう、とキョロキョロすると、左手にゴールテープが見える。無事にゴール!

 時計を見ると14時14分。8時間半を大きく切っていて、自分でもびっくり。10分ほどで完踏証がもらえるというのでストレッチしながら待つ。
 完踏証の記録を見てまたびっくり。スタートが6時ちょうどだと思い込んでいたのだが、そういえば35kmの部と合わせてウェーブスタートだった。  8時間05分07秒の好記録に大満足。






後日、主催者から送られてきたゴール写真
時計の表示は、250kmのスタート時間からのタイム
バックは、瑠璃光寺の五重塔(国宝?)

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【おまけ】
 翌朝、宿に全員の記録表が配られてきた(私の宿には6時半頃、小野委員長が自ら配りに来ていた)。それを見ると、70kmは例年50%の完踏率だと聞いたが、今回は163名のエントリーに対して133名が完踏。不出走者もいるだろうから、今回の出走者に対しては85%くらいが完踏しているのではないだろうか。それだけ天候にも恵まれたということだろうか。
 運営には大いに不満が残ったが、コースやエイドには大満足した。他にも出てみたい大会があるので、当分また参加することはないと思うが、もし参加するのであれば、今度は140kmの部に出てみたいと思う。
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