(標柱の説明文)

 坂の名は、この辺(あた)りに住んでいた中世の武将保坂大炊介にちなんで大炊介坂と呼ばれているが、坂の上の平塚神社にちなんで宮坂(みやさか)とも、樹木に覆われていたので暗闇坂(くらやみざか)とも呼ばれていた。
 この道は岩槻(いわつき)街道で、江戸時代には、将軍の日光東照宮社参の行列が通ったため日光御成道(にっこうおなりみち)と呼ばれたが、現在は本郷通りと呼ばれている。
 この辺りに江戸時代には牡丹園が設けられたこともあった。