東 京 散 歩


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1 : 中目黒~恵比寿 2023.3.19

 東京には桜の名所がいくつもあるが、その一つ、目黒川に行ってみた。目黒川は別な理由もあってゆっくり歩いてみたかったところなのだが、その理由はまた別途。
 目黒川の桜の満開予想は水曜日らしいのだが、水曜から天気は雨予報。なので、今日行ってみたのだが、やはりちょっと早かった。3分咲きといったところか。でも、歩いている人が多数。ランニングしている人たちも大勢。気候的には散歩日和だったかな。


 桜は見るべきものがなかったので、中目黒から恵比寿、そして代官山経由で中目黒へぶらぶら歩いてみた。
 話しは変わるが、東京って坂だらけだ。知識としては知っていたが、都内の移動はほとんど電車か車なので、これまでほとんど実感していない。
 で、中目黒駅というのは、目黒川が作る谷にかかる橋の上にあり、恵比寿駅というのは北隣の渋谷川の谷にある。そして、代官山というのはその間の “山” の地名である。標高差は30mくらいなので、札幌でいうと “大なまこ山” くらいの感じなのだが、そう言っても通じる人はいないか、、、

 また話しは変わるが、電動キックボードって、この3月に東京に転居してくるまで、実際に走っているのを見たことなかった。ところが、今は車道も歩道も、普通に自転車みたいに走ってるんですね。中目黒から恵比寿に向かって坂道を歩いて登っていたら、すぅっと女子高生に電動キックボードで抜かれた。そのあと、電動アシスト自転車のおばちゃんにもすぅっと抜かれた。もう、時代は電動か。
 帰り、その中目黒への坂を下っているとき、電動がついていない自転車を押して登ってくるお姉さんとすれ違って、ちょっとほっとした。

 恵比寿駅にはえびす像さんが座っているのを初めて知った。昔からいたんだろうか?

 代官山の交差点には、アスパラみたいな茎にひまわりみたいな花のようなものが付いた高さ10mくらいのオブジェが建っていた。こんなのは初めて見た。花の上は見えなかったが、どうやら太陽光パネルがついているらしい。あの面積でどのくらい発電していて、何に供用しているのかわからないが、これもまた時代の変化か。


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2 : 代々木公園 2023.3.21

 古い友人が原宿で写真展を開いている、というので、20年ぶりに会ってきた。その帰り、代々木公園をぶらぶらして、渋谷から帰ってきた。

 個展会場から代々木公園へは、地図を見ると竹下通りを突っ切るのが近いようなので、初めて竹下通りなるところを歩いてみたが、まず、道幅が狭いのにびっくり。明治通りから入ったところはそんなに混んでいなかったが、原宿駅に近づくと大混雑。
 歩いている人の多くは未成年と思われるが、1/3くらいは外人かも。私のようなおっさんやおばさんの姿も見かけるが、たいていは娘さんらしき人が寄り添っていた。
 まぁ、もう行くことはないだろうな、、、

 代々木公園の桜は9分咲きくらいかな。『 The 都会の公園 』という感じ。気候の良いときにぷらぷら歩くにはいいのかも。同時に、ぷらぷら歩くのには気持ちに余裕がないとできないんだな、とも思った。今までこんなこと思ったこともなかった。余裕なかったのかな。


 代々木公園というのは、渋谷川の支流(宇田川)と、明治通りが通る谷(渋谷川)に挟まれた台地にある。標高差が20mくらいだから代官山(標高差約30m)よりは低いが、札幌でいうと小なまこ山より少し高いくらいだ。
 しっかり “坂” を感じて帰ってきた。

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3 : 目黒川の桜と西郷山 2023.3.22

 雨が降るかもという予報が、晴れに変わり、気温も上がった。このおかげか、満開予報通り、目黒川の桜も満開になった。
 ただ、桜は確かに見事だが、コンクリートで固められた川では今ひとつ風情を感じないな、、、


 地図を見ると、西郷山公園なる文字がある。西郷さんは上野のイメージがあるんだけどな、と思いつつ寄ってみたら、西郷隆盛の弟の邸宅と庭園があったところだそうだ。
 西郷山は、この辺りでは一番標高が高いみたい。


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4 : ハチ公バス 2023.3.30

 渋谷を歩いていたら、“ハチ公バス”なるかわいらしいバスを見かけた。検索して見ると、渋谷区が運用するコミュニティバスだという。
 面白そうなので、「恵比寿・代官山循環 夕やけこやけルート」というので、渋谷から代官山まで乗ってみた。座席数10席くらいの小型バス。

 路線図を見ると、同じところ(渋谷駅や恵比寿駅など)をループしたりしながら渋谷区内を大きく循環しているらしい。急ぐわけじゃないし、観光がてら良いかな、と思ったのだが、走り始めたらさっそくびっくり。えっ? こんな狭い通りに入るの?
 普通のバスだったら絶対通れない、乗用車でも躊躇するような狭い通りを、右、左とくねくねしながら入っていく。で、バス停は確かに区の施設をたどっているらしい。そして、やっぱり感じるのは、渋谷区も坂だらけ。

 大通りに面していない、駅から離れたところに住んでいる人にとっては、多少遠回りしてもこのバスは生活に欠かせないんでしょうね。よちよち歩きの子供と一緒のお母さんが何組も乗り降りしていた。

 渋谷から代官山まで、東横線だったら構内を歩く時間含めても10分以下だけど、バスはあちこち寄り道して、約50分の旅だった。

 桜の画像は、中目黒駅から見た目黒川を埋め尽くす風景。これはまた圧巻だった。

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5 : 屋上庭園 2023.4.3

 目黒川沿いの西郷山より少し上流に、目黒天空庭園なる気になる名前の公園がある。なんだろうと思って検索すると、高架の首都高速から地下トンネルに降りるジャンクションの屋上に作った公園だとか。そして、その最上部は隣接するタワーマンション(地上42階建て)の9階に直結していて、その9階には区立図書館と区の出先機関が入っている。
 これぞまさに、東京なんだな、、、


 ついで、というわけでもないが、目黒区のHPを見ていたら、公園施設に入っていない公園があるのに気づいた。目黒区役所庁舎の屋上にも公園があるらしい。本日、区役所に行く用があったので、屋上に上がってみた。ちょうど昼休みの時間帯だったが、タヌキが昼寝していて、その脇でおそらく職員と思われるお姉さんたちが弁当を食べていた。
 説明看板があったので見たら、まず、公園ではなくて、庭園だった(天空庭園も庭園だけど、公園カテゴリーに入っている)。そして、そもそもが屋上・壁面緑化の研究するのが目的で整備されたものだとか。

 これも、やっぱり東京なんだな、、、


   区役所屋上のタヌキくん (2024. 3.23追記)
 なぜここにタヌキがいるのだろう。『目黒のサンマ』 のように、タヌキもなにか目黒と関係した逸話があるのだろうか?
 ネット検索すると、タヌキ信仰は信楽焼が有名とか、林試の森には野生がいる、などはでてくるが、区役所にいる理由は見当たらない。区役所に行くたびに「そういえば何でここにタヌキ?」と思い出してもやもやしていた。
 それで、とあるサイトで 「なぜここにタヌキがいるのか?」 と質問したら、教えてくださった方がいた。
 この目黒区役所の屋上庭園は、平成17年に東京農大と滋賀大学の先生と連携して作成された。その際、滋賀県信楽焼関係の皆様も庭園植栽に関わり、試験提供として資材提供を受けたのがこの信楽焼のタヌキなんだそうだ。

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6 : 八百屋? 2023.4.7

 代官山とか中目黒とかは、私には無縁のお洒落町と思っていたので今まで訪れたことなかった。しかしこのたび、別な興味から歩くようになって、意外に思ったことがある。お洒落そうな店の隣に、店頭に野菜を並べた小さな生鮮食料品店がけっこうあちこちにある。なんで?
 勝手に、この町はよそから買い物に行くところ、という変な先入観を持っていた。通り沿いは店が並んでいるが、上を見上げればマンション。路地を入ればアパートやらマンション。さすがに竹下通りでは野菜を見かけなかったが、どこもそこに住んで生活している人たちが大勢いるのですね。

 東京に転居してきて、最初にドキドキしながら探したのが床屋だった。床屋のサインポールはあちこちに見かけるが、どこもお洒落そうで、敷居が高く感じる。ぼさぼさに伸びた髪を切るだけでいいとは思っている。しかし、1000円カットみたいな店はいくつか行ったことがあるが、どこも居心地悪くて、同じ店には行ったことない。
 中目黒駅から区役所に行くのに、「目黒銀座商店街」を通る。この商店街は昭和初期には城南最大だったとか。城南というのは、江戸城の南方地域(目黒区・品川区・大田区・港区)のことというのも、今知った。
 この商店街には、昔からあるだろうと思われるような店が多数あり、その中に床屋もあった。Googleの口コミを見ると、30年通ってる、なんて投稿もあった。昔からある店だったらいいかな、と思って行ってみたら、普通で正解。居心地もよかった。

 やっぱり、中目黒という町に対しても偏見があったんだな、、、

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7 : 目黒川の源流 2023.4.28

 3月に高速のジャンクションの屋上にある天空庭園に行こうとしたとき、その下で「清流の復活」という看板を見かけた。えっ!? 東京の川のからくりが書いてあった。


 東京の川の歴史を大雑把にまとめると、昭和の初期まではそこそこきれいだったのが、戦後、汚水、ごみが急激に増えてほとんどはドブ川と化した。1964年の東京五輪開催が決まると、それは対外的に恥ずかしいよ、ということで少しは改善したようだが、しかし、それは気やすめだったらしい。
 東京五輪以降、小河川はドブ化と並行して、蓋をして暗渠化され、緑道として遊歩道が整備されるようになった。緑を増やせばいいだろう、という発想らしい。
 渋谷川も渋谷駅付近より上流は暗渠となり姿を消したが、暗渠にできないそれなりに大きい下流、そして目黒川などは、そのままドブ川として異臭を放っていたらしい。

 それで、ドブ川対策として出てきたのが、「清流復活事業」だそうだ。
 昭和の末に、最初は玉川上水の分水の野火止用水に、続いて玉川上水の小平監視所より下流に下水の高度処理水を流すようになり、平成7年から渋谷川、目黒川などにも処理水を流すようになったとか。
 現在、都内山の手台地の地表を流れている川の水のほとんどはその地元の湧水ではなく、下水処理場で処理した水を送水管ではるばる送られてきたものらしい。
 平成7年なんて、つい最近のことだったんだぁ! と思うのは主観の問題?

 目黒川の天空庭園のある池尻大橋より上流は、元の川は暗渠となり緑道となっているが、緑道の脇に水路を作り、せせらぎが流れている。これも処理水だそうで、「一時的になくなって枯れることがあるから生き物を放流するな」なんて看板もあった。


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8 : 玉川上水(取水口~拝島) 2023.4.29

 玉川上水は現在、羽村取水口から高井戸公園近くの浅間橋までの約30kmが水路として存在しており、平成15年に国の史跡として指定されたとか。そのうちの約20kmを4日に分けて散歩してきた。実際に歩いた距離は、同じところの左右岸を歩いたり、近くの公園内を通ったりしたので37kmくらいになったようだ。
 それにしても3月に転居してきたときは駅まで5分歩くだけでよれよれしていたのが、休み休みでも1日に10kmくらい歩けるようになったのは単純にうれしい。

 初日はまず羽村の郷土博物館に行ってから、取水口にいる玉川兄弟にごあいさつ。多摩川の河川敷は広いが、水量が意外と少ないのにびっくり。
 そのあと、上水沿いに歩こうと思っていたのだが、昔の風情が全くない現代の水路だったので、JRで拝島まで移動。拝島付近も、しっかり造り替えた現代の水路。


 拝島での目的地は水喰土(みずくらいど)公園。ここは、建設時に通水したら水がどんどん地中に浸み込んで消えてしまうので、作り直したところらしい。
 玉川上水は、取水口から尾根筋に到達するまで(拝島駅付近)は、基本的には地形の等高線にほぼ沿うように作られている。これは流下勾配をなるべく小さく、そして掘削量を最小限にする工夫であるが、水喰土公園付近では、わざわざ地形の高まり個所を深く掘りこんでいた。
 なるほどね。現地にわかりやすい説明看板も設置されていた。当初はその高まりの南側を迂回するように建設したのに、水を喰らわれてしまったので、高まり個所を突っ切ることにしたんですね。

 ところで、拝島駅近くに『日光橋』があって、これは日光街道が通っていたから、と説明看板があった。なんで日光街道がこんなところを通ってるんだろうと思って 検索したら、いわゆる五街道の日光街道とは別物で、八王子から江戸を通らずに日光に至る歴史ある街道なんだそうだ。


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9 : 玉川上水(残堀川、立川断層) 2023.4.30

 2日目はまず、残堀川との交差部と、立川断層へ。(立川断層の補足は別途

 玉川上水は取水口から約5kmの拝島駅付近まで、多摩川とほぼ平行しながらも台地の上に上がっていき、拝島駅付近から東に向きを変える。そしてさらに約4kmのところで、自然河川である残堀川と交差する。自然河川と交差するのはここだけになっている。
 今回参考にした本によれば、玉川上水建設時には残堀川から玉川上水に流し込めるようにしていたが、明治になって残堀川の水が汚れてきたので、切り離して残堀川を玉川上水の下をくぐるようにした。しかし大雨で残堀川が氾濫して玉川上水に水が入り込むことが起きたので、昭和30年代後半に玉川上水が残堀川の下を通るように改修し、現在に至るそうだ。

 さて、ここで疑問。現在の残堀川の河床標高は、玉川上水より低い。現在、サイホンの原理でうまく交差させているのはわかった。では、かつて残堀川の水を流し込むようにしていた頃は、上流側に堰を作っていたのだろうか?
 それは難しくないと思うが、明治以降、残堀川が下をくぐっていたときはどうしていたのだろう? 上水のほうに、相当な水量を流せるだけの水路橋を架けて上を流していたのかな? だとしたら、かなりがっちりとした構造物になると思われるが、そんな記述はみつからない。どちらも上下流の状況から、河床標高は当初と変わっていないと思われるので、どうしていたのか気になる。


 続いて、立川断層の崖乗り越え箇所へ。ここは残堀川から下流へ約900m下ったところで、玉川上水の方向に対してほぼ直交するように断層があって、下流方向の地面が断層によって数m高くなったとされているところである。
 玉川上水は、基本的にはほぼ直線的に作られているが、行く先が高くなっていたら水は流れないので、流れるように右に曲がって迂回している。ここまでは事前に地図を見てわかっていたので、断層崖とされている段差がどのようになっているか、という興味で行った。しかし、残念ながら現地ではよくわからなかった。確かに、道路の縁石や駐車場の傾斜、並んでいる住宅の高さなどが違っているのはわかるのだが、崖として認識できるような状況はなかった。そりゃそうだよね、、、


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9補足 : 立川断層について 2023.4.30

 立川断層は、関東ローム層をずらしてできていると言われていた。ということは、関東ローム層ができた後に断層が動いたことになる。つまり、都会の真ん中にある活断層として有名なので、私もこの名前だけは知っていた。でも、そもそも立川という場所が、国電の路線図で八王子と新宿の真ん中付近、という程度の認識なので、立川断層が関東平野のどの辺にあるのか知らなかった。
 このたび、玉川上水が立川断層でできた崖を乗り越えているというので、ついでに立川断層について検索したら、10年ほど前に活断層調査が行われていたのを知った。
 『活断層調査』という用語は、最近では原発の再稼働に関連して耳にすることが多いと思う。断層は地盤がずれることでできるものだが、地盤がずれるときには地震が発生する。原発については、そんなずれるようなところに建設しちゃいかん、ということで問題になるのだが、地震はずれる場所だけではなく広域を揺らす。そんな震源になると思われるところがわかっているのなら、その近くにはなるべく住みたくない。

 活断層調査の目的は、断層が最近に動いた証拠を見つけることにある。そのためには、断層面と推定されている場所を掘り返して、実際に観察して確かめる。しかし、立川断層については都市化してしまったという場所柄、掘り返せるような土地がなくて、近年まで調査ができなかった。ところがたまたま、昭和30年代に建設された日産の自動車工場が閉鎖し、その広大な跡地が調査現場として利用できることになった。おかげで、通常よりも大規模に掘削でき、さらにその他の調査もできたそうだ。
 そして、ポカをした。断層が動くと、ずれたところは擦れあって断層粘土と呼ばれる白い粘土ができることがある。掘削面を観察した先生は、「活断層の証拠が出てきた」とすぐに発表した。ところが、ここは工場跡地。白い粘土に見えたのは、実は工場建設の際に地表から注入したコンクリートだったことが後で判明。「思い込みもあって見誤った」というその先生の謝罪会見記事は、今もネット検索すると出てくる。
 調査は先生ひとりでしているわけがない。一緒にいた人たちは気づかなかったのか、あるいは先生は裸の王様状態で言えなかったのだろうか。

 で、その後のその他調査も含めての結論であるが、玉川上水付近で断層崖と推定されていた崖には、活断層であることを示す証拠は見つからず、昔そこを流れていた河川が侵食して作った崖の可能性が高い、ということになったようだ。
 最終報告書では「活断層ではない」とはっきり否定できず、「あることを示す証拠はない」という表現になるのは仕方ないのかな、、、
  立川断層の最新調査結果(平成27年)

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