20 : 六本木~三田 2023.9.7
映画の券をもらったので、36年ぶりに映画館に行った。近年、涙腺がかなり緩くなってきているので不安だったが、案の定、ボロボロ。空いててよかった。
上映している最寄りの映画館を検索すると、六本木と二子玉川だったので、六本木に行って、ついでに先日の続きでそのあたりを歩いてみた。初めて六本木ヒルズに行ったが、地下鉄から地上に出るとミストシャワー。さっすがぁ・・・
最後はくたびれて、駅を目指して最短平坦路を歩いちゃったが、坂道だらけで、それぞれ由来のある名前がついていて、面白い。歩行距離は 8km弱。
ところで先日も、警察官が交差点に大勢立っていて何事かと思ったら、そのあと、シュプレヒコールが聞こえてきたので、そのためだろうと思ったが、本日も警察官が立っている交差点があった。港区って、そんな物騒なところなんだろうか?
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21 : 区立公園 2023.9.24
東京都内には、区立公園がかなりの密度で整備されている。たいていは樹木が茂っていて、そこそこの広さがあるところが多い。街路樹も整備されているせいか、東京は緑がないとよく聞くが、私は全然緑の少なさを感じない。
公園の多くは子供が走り回れる広さがあるが、中には大人が数人いたら、もうくつろげないんじゃないかと思うくらい狭いものもある。茶屋坂の下にあった『茶屋坂街かど公園』を見た時、「うわぁ、せまっ」と思ったが、もっと狭い公園があった。
『下馬五丁目庚申公園』
近年、公園整備されたらしく、鎖がかかって入れなくて、もしかしたら造園中なのか、草花もベンチもない。大人定員3名? これでも公園というのだろうか?
そのあと通りかかった『駒繋公園』では、奇妙な石碑があった。
この公園そのものは、近くに神社もあり、けっこうな広さのある公園。通りかかった道路から見えた石碑は、最初風化して文字が見えなくなっているのかと思った。しかし近くによって見ると、あきらかに文字が削られている。
昭和13年建立らしいが、撤去されずに文字だけ削られたのはなぜだろう。ちょっと検索してみたがでてこない。ほかにもこんなのがあるのかな?
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22 : 目黒富士登山 標高 3,135 cmくらい 2023.9.26
江戸時代、今の目黒区内には二つの富士塚があったが、いずれも取り壊されてマンションに変わってしまった。ただ、目切坂上に築かれていた元富士にあった石祠や石碑は、明治11年に上目黒氷川神社の境内に移され、目黒富士と呼ばれるようになった。
目黒富士登山道は、昭和52年に開かれた。
なお、富士塚からは富士山が眺望されたが、目黒富士からは周りのマンションしか見えない。
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23 : 代官山駅と東京音楽大学 2023.10.23
恵比寿で所用を済ませた後、中目黒まで遠回りしながら歩いてみた。
いつもはなんとなく避けていたが、今日は代官山駅と東京音楽大学の真ん中を突っ切ってみた。
代官山駅というのは、建設するときにはすでに周辺は宅地化していたらしく、用地交渉が難航した聞く。昭和初期の当時とはもちろん風景は異なるが、それにしても掘り込んだ線路の脇に高層マンションが立ち並ぶのは、やはりすげぇなぁー、と思う。マンションからもいっぱい木が生えてるし。
ちなみに、東横線が開通したころ、東急社長だった五島慶太氏は代官山駅隣のトンネルの真上に住んでいたとか。
東京音楽大学も、地域に開いた大学としてレストランは一般も利用できるとは聞いていたが、なんとなく構内に立ち入るのもこれまではためらわれていた。
初めて入ってみて、中庭に“森”が作られているのを知った。これは愛嬌ですね。
レストランは、「どなたでもご利用できます」と書いてあるが、やっぱり入りにくいなぁ、、、
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24 : 箱根山登山 2023.11.10
箱根山を検索すると、当然ながら「神奈川県から静岡県にまたがる火山」と出てくる。しかし、Wikipediaには 『箱根山(新宿区)』 というのもあった。
山手線の内側における最高標高地点 4,460 cm。
Google Mapを見ても、きれいな円錐型の独立峰であることがわかる。
ビルしか見えないのかな、と思いつつ登ってみると、意外や、木立に阻まれて、都内じゃないと言われても信じられそうな感じだった。
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25 : 愛宕山登山 2023.11.10
箱根山の独立峰で思い出した。ビルに囲まれてて山を感じなかったのでここに載せなかった山があった。
中学生のころ、日本のラジオ放送は愛宕山から始まったことを知った。しかし都内に山があるとは思わなかったので、そういう地名のところとしか思わなかった。
いつもの地図を見ているとき、ふと、それを思い出して愛宕山を探してみたら、なんと立派な独立峰ではないか。いや、峰というより島か。標高 2,570 cm。
ワクワクして登山に出かけた。
山の上には愛宕神社とNHKの博物館があるのだが、どちらも山の下に立つビルに囲まれている。山の真ん中をトンネルがズドンと抜いているので、山だとわかるのだが、これが都会の風景なんだな。
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26 : 国分寺崖線 2023.11.20
国分寺崖線なんて用語はマニアックな人しか知らないと思っていたのだが、現地に行くと何の説明もなしに、あたかも固有名詞であるかのように表示されている。地元じゃない人は知らないよねぇ、、、
本日の散歩ルートは世田谷の多摩川沿いで、東急大井町線等々力駅から二子玉川駅までの6km弱。
Googleマップには、等々力渓谷は臨時休業中とでていた。そんなバカなことはないだろ、と思いつつ行ってみると、ホントに倒木の可能性があるため通行止めだった。なので入り口付近で雰囲気を感じるだけ。
すぐ隣に玉川野毛町公園があって、そこに独立峰があるのでよじ登る。これは、この近辺にいくつかある中で最大規模の帆立貝形古墳。本日は晴天かつ空気も澄んでいて、頂上からは冠雪した富士山の頭がくっきり見えた。
その後も、西側に障害物がない所からは富士山を拝見。
一番の目的だった明神池の龍神様も拝めて、本日満足。
(龍神様を検索するといっぱい出てくる。これはその中のひとつ)
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27 : 島津山 2023.11.29
山つながりで、島津山なるものを見つけたので、行ってみた。江戸時代には仙台藩伊達家の下屋敷があったが、明治になって旧鹿児島藩主島津公爵家の屋敷になったことが由来とか。
周辺には名前に ”島津山” の文字を含む建物が多数並んでいた。
大崎広小路駅から歩き始め、目黒川にかかる大崎橋に差しかかったら、桟橋が見える。4年前に整備された新しいもので、ここから東京湾のクルージングやら、目黒川の遊覧クルーズなんかもできるようになったそうだ。
島津山に近づくと、マンションの隙間から山が見える。この辺りは愛宕山周辺と違って中層マンションが多いので、山は山として見える。そして、斜面というより、崖に囲まれている感じ。少し歩いただけだけど、あちこち、急坂は階段になっている。こんな階段密度が高い所は初めて。
他所でも崖ギリギリとか、あるいは敷地境界ギリギリに住宅が密集していたりして、よく建築できるものだと感心するが、階段を這いつくばって登った上でも、そこに住みたいと思う人がいっぱいいるんですね。健康じゃなけりゃならない。足のケガもできない。日々相当なプレッシャーだと思うのだけれど。
島津山の南側は昭和37年以降、清泉女子大になっている。その正門には公爵邸関連らしき建物と説明看板が立っている。守衛さんにそこにある建物は何だったのか聞いたのだが、わからないとのこと。大学構内というか、島津山の上がどうなっているのか見たかったのだが、女子大の中をうろうろするのはさすがにためらわれて、入るのは諦めた。
女子大の北側の台地上には低層の住宅とお寺がいくつか並んでいたが、その一角に品川区の保存樹というのがあった。こんなのは初めて見た気がする。都市の美観風致を維持するためとのことだが、ほんの数本保存することに、どういう意味があるのかな。
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28 : 旧白金御料地 2023.11.29
島津山の北側に、旧白金御料地という史跡がある。
歴史的には、縄文時代前期の遺物が発見され、また中世の館址、江戸時代の大名屋敷、近代の軍事施設等、興味深い土地利用がなされてきたとのことなので、これらの遺構が見られるのかと期待して入園してみた(入園料320円)。
けっこう広いので、中に入ると車の音は消え、野鳥の声ばかりになる。と思いきや、すぐに飛行機の音が聞こえてきた。見上げると高度が低い。この日は南風。ここは羽田空港滑走路の北方延長に位置する。つまり着陸するために高度を下げた飛行機の進入航路なので、ひっきりなしに飛行機が飛んできた。2機がほぼ並んで来たりもする。
今年の春、玉川上水見学のために拝島から立川付近を歩いたとき、横田基地からひっきりなしに飛んでいる米軍のヘリやら飛行機の騒音にびっくりしたが、それに匹敵するようなうるささ。これに比べれば、モーターパラグライダーのエンジン音なんて可愛いもんだよな。
縄文の痕跡や江戸時代の屋敷の遺構が見られるかと期待したのだが、中世の土塁があるだけ。うっそうと茂る木々も昔からの原生林かと思ったら、管理のために手を加えている個所もあり、必ずしも自然のままではないらしい。その他、詳しい説明は、私が今のところ興味をもっていない動植物のことばかり。とってもつまらない場所だった。
帰宅してから知ったのだが、史跡に指定されるのと同時に天然記念物にも指定されたので、周辺部分や部分的な発掘調査はなされたものの、詳細な遺構調査は行われていないんだとか。なるほど、これが期待外れの理由だった。
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29 : 都立大学~九品仏 2023.12. 3
都立大学駅から目黒通りに向かうと、街灯に『150』と『小学校』の文字のある布(旗?)がぶら下がっているのが見えた。もしや、と思って八雲小学校に向かってみると、「祝 開校150周年」。そのあと八雲神社の坂を上ってみる。
東京の坂道関係の書籍はいくつか読んだ。しかし、目黒・世田谷にも坂道がたくさんあるにもかかわらず、江戸の町に比べると紹介されている数が少ない。Googleマップにも坂道の名前が記されているが、目黒・世田谷は名前が記されている密度が小さいような気がする。江戸時代、人があまり住んでいなかったから坂道にも名前がついていないのかな、と想像していた。
本日は、現地を歩いたら地図にない名前が見つかるかも、とあてもなく、あまり期待もせずうろついてみたら、当たった。宮前小学校の脇を歩いていたら、「太鼓坂」の説明書きがあり、近くの坂道の紹介まである。こんなラッキーあるかぁ?(ただ、帰宅して再度Googleマップを見ると、載っていたりしたが)
呑川の谷を横断し、目黒通りの尾根を越えようとしたら、「道路のみどり」という看板があった。目黒通りの街路樹は全線にわたり「いちょう」になっていたとは気づいていなかった。東京都の木がいちょうだということも知らなかった。
尾根を越えて、太鼓坂の説明書きで知った「谷畑坂」を下り、よくばって隣の坂を上り下りしてみたが、そちらには何もなかった。
そして八幡中学校へ。
戦後、八幡中学校とその南にある浄真寺の間には池があった。痕跡はないだろうと思いながら行ったのだが、池があったところの地盤標高は明らかに周辺より低かった。わかるもんなんだな。
その池から流れていた九品仏川は緑道になっている。
そして、九品仏の名で知られている浄真寺に寄ってみた。
歴史のあるお寺なのは知っていたが、それが1678年開山というのは知らなかった。そして、それ以前は奥沢城だったということも。
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